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障害児の母の障害の「受容の程度」的なものについて、思うこと。


画像はタイトルと関係なく、
「とんとんとんとんこぶじいさん」を
ちからいっぱいやってるなーさん。
ああ・・・前髪切りすぎでぶちゃいく・・・
・・・だがそこがいい。<親バカ

タイトル長すぎっす。ごめんなさい。

以前こちらの記事で、キューブラー=ロスという人の「死の受容のプロセス」と
障害児の母における子の障害受容との関係について、ちらりと書いたのですが。

最近、精神科医師であることをカミングアウトしたわたしとして
(あ、ブログのプロフィールもちょっと書き換えました、こちら)、
もういちど、障害児の親の受容みたいなものって、どんなものなんだろうか、
自分のいままでの心の流れを思い返して、
若干精神科的な分析をまじえつつ、
自分の思うところを話してみようかと思い立ちました。

とはいえ、あくまで個人的な見解です。
これが精神科医が一般に考えている見解だなんて、決して誤解しないでね。
でも、せっかく「障害児母だけど精神科医」「精神科医だけど障害児母」なので
ちょいと思索にふけってみて、つらつら綴ってみたいかんじなのです。
そんなわたしの思いを了解して下さるかたは、お付き合い下さい。

以下、いつも以上に長文です。ご覚悟を!?



まず、もういちど、キュブラー=ロスの提唱した死の受容のプロセスについて、おさらい。

  1. 否認(自分が死ぬということは嘘ではないのかと疑う段階)
  2. 怒り(なぜ自分が死ななければならないのかという怒りを周囲に向ける段階)
  3. 取引(死なずにすむように取引をしようと試みたり何かにすがろうとする段階)
  4. 抑うつ(なにもできなくなる段階)
  5. 受容(最終的に自分が死に行くことを受け入れる段階)


人が死に至ることを覚知してから自分の死を受容するまでに、
多くの場合、この1〜5のプロセスを心理的に経験する、というものです。
医学においても心理学においても、あるいは宗教学においても、
よく引用される概念です。



さて。
「死」の部分を「障害を持つ」に入れ替え、「自分」の部分を「子」に入れ替える、と、
だいたい「障害児の母における、子の障害の受容のプロセス」を想像できる。


というのが、障害者福祉や教育や医療の領域で、よく言われることのようなのですが。


自分が障害者の母として、まさに子の障害の受容という難問にぶちあたっている今。

「たしかにキューブラー=ロスはある程度あてはまる」とうなずける部分がありながらも。

「受容」というものが5番のゴールラインに設定されているところに、
やはり死と障害とでは相違が大きいと感じることもあります。



いきなりですが、ぶっちゃけますと。

「障害児の母が、子の障害を受容する」なんていうことは、
そもそもありえるんですかね???


少なくとも、わたし自身には、けっこうなかなかありえない話だと思うんです。
正直、わたしは、それこそ何十年後、たぶん死ぬまで、ありえないな(ぼそっ)。


「さばけてる」のと「受容してる」のは、似てるようでいて全然違うのであって。


わたしは今のところ、「障害児の母における子の障害への思いと心の状態の変化」を、
キューブラー=ロスを恐れ多くもちょこちょこパクリながら、こんな感じに分析中。

(まだまだ今後ずっと改変されるけど、とりあえず、現時点の考え。)


まず。
子の障害に対する親の心の状態を、かんたんに5段階の行き来では考えられなかったので、
  • 内的な精神活動(心のなかで渦巻いてる部分とか、考えたりしていること)
  • 表層の状態像(表面的に見せる・ふるまう、母親の気分や行動の状態)
にとの二つに分けて、この心の内側・外側、二つのものをかけあわせた状態として、
心の状態を考えてみることにしてみてるのでした。

で、とりあえず、用語の定義をしてみよう、っと。

一つ目の「内的な精神活動」には、大きく分けて、こんなものがあると思う。
  1. 否認(子に障害があるということは嘘ではないのかと疑う状態)
  2. 逃避(とりあえず全てを投げ出して逃げたいと思う状態)
  3. 取引(子に障害がなくなるように、何でもいいから何かにすがろうとする状態)
  4. 現状理解への希求(子の障害について、とにかく調べまくり、尋ねまくる状態)
  5. 知識の充足・理解(子の障害の現在の状態について、理解が進んで知識が満たされた状態)

二つ目の「表層の状態像」は、かなり大ざっぱに分けて、こんなものを挙げてみた。
  1. 抑うつ状態(1) (なげき、怒り、失望、健常児親子への嫉妬、・・・など。感情は、子へよりも、むしろ親自身へ向けられる、後悔・攻撃・憐憫、という段階。)
  2. 抑うつ状態(2) (将来への不安、悲哀、憐れみ、焦り、・・・など。親である自分より、子の境遇に向けられた、不安を主とする、ある程度、冷静で淡々としたような、そんな状態)
  3. 多幸的活動的状態 (全てを受け止めたように、達観して、いきいきと、それまでの悲哀や不安を代償するかのように、明るくとても協調的にふるまう状態。現状の改善に向けて活動出来るときだが、不満をため込んで攻撃的になりすぎることも実は起こりやすい)

で。ふたつをかけあわせて心の状態を理解するっていうのは・・・
たとえば・・・

うーん、たとえばってことで、まず図をみっつ作ってみました
(時間がないので、図、適当すぎてかなりキモイですwすいません)。
脳内メーカー(爆)みたいな感じで、こころの内と外を表現したと理解していただけると
ありがたいですが。。。


1)医療者や療育者たちが、「障害を受容できてるおかあさん」といちばんよろこびそうな人


外側はいかにも健康そうで活動的になってきて、「明るくいいママ」」。
「障害についてさばけた状態」。
母親自身としても、この状況に自分を持っていくのがいちばん目指したいところかも。
かなりポジティブにこどもについて話が出来る状態でしょう。

しかし、親である以上、内的に、否認・逃避・取引といったどろどろが、
消えることはないと思われます。
むしろ、この母親の状態だと、それらのネガティブ部分が必要以上に抑圧されがち。
ということは、抑圧されたものがいつかどこかで爆発しかねないかもしれないし、
外面をとりつくろっていても、家庭内で疲れ切っていたりしかねない。

この状態をバランスよく保っていくのは、実は非常にむずかしくストレスがたまりやすい。

障害児教育・福祉の現状をなんとかしようと行動しすぎると、
「ふつうにいいママ」扱いから、一気に「モンスターペアレント」扱いに急降下される危険も、
実はこっそり秘めている。
そんな自分におののいて、実はいいたいことを言えないストレスをかかえてたりもする。


2)医療者や療育者が、「いちばんややこしい、やばい親」と感じるであろう親
308-3.gif
確かに非常にややこしく、「腫れ物に触るように」扱われることが多いかも。
医療者・療育者から、「障害をまったく受容できてない親」認定されてしまいがちか。
いちばん問題なのは、他の母親たちからも敬遠されやすく、
「孤立しやすい」ことかも。

本来、現状理解への希求はきちんと持っているし、知識の理解も全くないわけではないが、
「非受容的な親としての腫れ物扱い」と「他のママからの孤立化」によって、
どんどん情報不足が進み、かたくなさが進み、
さらに「腫れ物扱い」と「孤立化」が進む、という悪循環に陥る危険が高そう。

ほかのきょうだい児との差に葛藤したり、家庭内(祖父母や配偶者など)の
無理解・孤立から、「否認・逃避・取引」のステージがどうしても大きくなってしまう
背景があることももしかしたら多いのかなと思う。


3)医療者・療育者からは不安視されそうでいて、実はいちばん健全なのかもしれない親

十分に理解が進んでいるからこそ、自分を否定しすぎず、
抑圧しすぎないネガティブな葛藤部分もある。
理解しているからこその、「当然の不安」があり、じんわり陰が表面に出ているが、
実はほんとうはいちばん「障害の受容」に近い心理構造なのではないかとわたしは思う。

しかし、基本的にやっぱり不安・抑うつ状態に近く、
現状を冷静に捉えすぎているからこそ、
実はある段階で急に将来への悲観・悲嘆を深めて、
危険なうつ状態に陥りかねないのかも知れない(精神科的にはawakening的な感じ?)




・・・えー、きっと意味わかんないだろうなorz


ただ、とりあえず、いちばん言いたいことは、

  • どんな親も、内面には必ずネガティブなものもポジティブなものも包含している。
  • 表面的な活動性や明るさやとっつきやすさで「受容の程度」を推し量るのはちょっと違うかも。

ということでしょうか。

あと。
内面のネガティブ要素・ポジティブ要素のバランスも、知識の充足感も、
何十年にわたりかつ状態が変化していくのが「障害」である以上、
しょっちゅうバランスはかわるわけで。

「受容」を最終ゴールとするならば、その手前で、
何十年も親は上の1)〜3)、さらにほかのバランスも含めて、
行ったり来たりするものだと思う。


障害の状態に大きな転機があれば、1)が一気に2)に変化することも、十分あるだろう。


で、まあ、現実的には、1)と3)の間をふわふわさまようぐらいが、
いちばん「受容的な親」に近いんでしょうね。
親自身にとっても、そのあたりがまあ、現実的なゴールなのかもしれない。

だからといって、1)と3)あたりをさまよっている親をみて、
「ああこの人は受容している」と決めつけてほいほい軽率にあつかったり
適当な就学相談でぽいっと終わらせようとすると、
大変なことになったりするわけで、
このへんが、医療者や療育者が、親をみていて
「なんで!なんで!?」といちばんとまどう辺りかもしれませんね。

どの段階の親であっても、「親への心理的配慮」はあんまり省略しないほうがいいし、
逆に言うと、「心理的配慮を持った介入」をある程度加えていきつづけようという意識一つで
親の扱いは、非常に楽になるかもしれません?!w

で、ここから先はさらにほんとうにあてずっぽうな想像になるけれど。

たぶん、1)とか3)には、親同士の自助的な活動を提示していけば、
あまり医療者・療育者がかかわらなくとも、健全な母子アプローチが叶う可能性が
かなり高いのではと思っています。
こういう状態の親は、変なはなし、当事者としての実感がない専門家よりも、
素人でも当事者同士のほうが、よっぽど癒しあえるし、具体的・有機的な知識が交換できる。
そもそも知識への希求・理解は高いので、ある意味医療者や療育者より、
よっぽど知識量は多いかもしれないしw
心理的な理解の深さ・濃やかさはいうまでもない。

親たちの自助的な情報交換と、同じ境遇同士だから言える思い切って踏み込んだ助言ってのは、
案外、いや、非常に、医学的・教育学的にも的確な内容でありうると思う。

子の適応場所のマネージメントにおいても、親の理解力と柔軟さがずっと楽に
促せるようになることが、十分期待できるのでないかと。

親を集わせることのややこしさに二の足を踏む専門家もたまにいるらしいんだけど、
自助的にサポートし合う活動を積極的に応援したほうが、

医療者も療育者もけっこう負担を減らせそうな予感がわたしはひしひしとします。


多職種が密に連携して、個別でしっかり親をサポートするのが重要なのは、やっぱり2)か。
とにかく注意した方がいいんじゃないかなあと思うのは、
2)に関しては、たぶんそもそもなかなか医療・療育機関につながらないし、
つながってもすぐドロップアウトしてしまいがちなんだろうけれど・・・
だからといって、腫れ物に触るように障害についての情報提供を控えたり、
連絡を遠慮したりするのは、さらに問題を深くし困難度を増すことになるんじゃないかなと。

密に連携しながらも、まずは一関係者だけでもいいから、誰かとアタッチメントを作れないか。
あるいはきょうだい児がいれば、きょうだい児の担任とかもチームにいれたりしながら
家族内の力動を洗い直して、「本人を変える」「母親を変える」というよりも、
家庭内の風通しを変えて、家族ぐるみと専門家チームで
問題を共有化していくようなアプローチ
ができないか。

ものすごく多面的で根気の必要なことかもしれないけれど、
案外、家庭内で「サイドに転がっている秘かなとっかかり」を丹念に探し出すことで
劇的に問題を軽くできる可能性を秘めているケースがあったりするんじゃないのかなあと、
外側から生意気にも思ったりしているのでした。。。




・・・ふぅ。
自分の今までの母親としての感覚だけがソースで、なんの科学的根拠もデータもないな。
しかもわたし、元々精神分析家さんでもないので、全てが中途半端だorz

そこが歯がゆくって、また勉強したいわけですので、できればご容赦を(汗)

いつか、専門家として、きちんとしたソースやらエビデンスやらをそなえて、
またこんな「障害児の親の障害受容ばなし」をちゃんとできるようになりたいものです。


ここまでわたしの適当な考えをちゃんと読んでくれる人はたぶんほとんどいないと思うがw
読んでいただいた方、ほんとうにありがとうございました<(_ _)>


| 障害についてのつれづれ | 2010.09.13 Monday |
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2008年夏、3歳半ころから、ストローで水分をとることができるようになってくれました。外出時にいちいちトロミドリンクを小分けして持ち歩かずにすむようになり、とてもラクです。ブリックパックはそのまま添付のストローで飲ませますが、レストランで頼んだジュースはグラスで出てきてこぼしそうなので、こちらに移し替えて飲ませます。ぐびぐびいきます。